2004 10 03 僕らの音楽 @ California

半歩先を行くアーティストが有名になる。
数歩先に進んでいるにも関わらず、半歩先まで戻って音楽活動しているGackt。
で始まる。
 
ディスコグラフィー。Mizerable,VanillaのPVとともに。
 
いつから音楽を?
3歳の頃からクラシックピアノを始める。
親に習わされてましたね。
父親から?
いいえ。両親から習わさせられてました。
父親は楽器を持っていたんですよ。
それででしたね。
 
「Last Song」ピアノ伴奏
 
沖縄のアーティストということを滅多にださない。
沖縄というグループにくくられるのがイヤだった。
当時、東京には沖縄からきた人たちがいっぱいいて、ひっくるめてモノ扱いや産物扱いされていた。
でも僕は沖縄に対する誇りが強くて、外国に行ったときは「どこから?」と聞かれたら、「Okinawan」というようにしている。
 
Okinawanとしての誇りがとっても強い。
4〜5年前、9年ぶりに沖縄に帰って、そのとき、屈折したものが整理できた。
 
2004/6/3
Studio Ebis屋上にて
この場所は安らげる場所。
高い場所が好き。
よくココはタバコを吸ったりぼーっとするために来る。こ〜ゆ〜時間が好き。
(ナレーター)理想と現実を比べているのかもしれない。
 
「Mirror」
 
ソロになってから前の所属会社といざこざがあった。
その社長が僕にとってとってもイヤで。
お別れのメッセージのために歌う。
恋愛とかぶらせながら作った。
 
Gacktという人は良い男。
ビジュアルといわれるけど?
男として仕事の上で体型を維持するのは自分の義務。服を作ってくれるデザイナーにとっても失礼だから。
自分が体型を崩してしまったらキツイことが言えない。自分がキツイこといっても「じゃあお前はなんなんだ?」とい言われないようにしている。
何かやっている?
これだけのものをやらなきゃならないということを決めている。食べ物には気を遣っている。米は食べない。米を食べたら太っていくから。
今は野菜8割〜9割食べている。肉・魚等は1割の中で取っている。
 
コラボレーション with 知名定男さん
(ネーネーズのプロデューサーで沖縄音楽の一人者)
「島唄」
初めて歌うから歌っているときは涙がでそうだった。
おばーちゃんや沖縄が懐かしくて胸があつくなる。やっぱり自分は沖縄に対する誇りを持っているから。
今なら歌える。今なら歌ってもいいと思えた。今の僕なら。
 
どうも有難うございました。
握手が強いですねと言われて終了。
 
久しぶりに見たGacktだったので泣きながら見ていました。何か目頭が熱くなって、気づいたら泣いてました。
いつもGacktを見ると思うことですが・・・やっぱり自分にはこの人が重要なんだなって。
意味分からない乱文になってしまいましたが一応全内容をアップしておきました。

*日本で放映されたものと同じ内容です。

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